特になし
レビューでも取り上げた本だが、改めて日記でも取り上げておきたい。本書は一昨年の『学問とは何か』(大学教育出版)に続き、「学問」の名の下に社会にウソが蔓延している事実と、その手口や原因を指摘している。
単なる「ウソの指摘」の本は珍しいものではないが、ウソの原因と手法、そして本来「学問」とは何かというところまで踏み込んだ本書のような考察は、現代ではきわめて貴重だ。
ポストモダン思想が様々な分野に影響を与えている昨今では、その相対主義的な発想に基づいて、「学問」それ自体を信用できないものとみなす意見がある。しかし、相対主義的発想それ自体が、ウソの手口の主要なひとつであることを考えれば、このような仕方での批判は何ら解決に結び付くことはありえない。
この点、本書では「本来の学問」という章(第2章)を設け、「学問」というものの本来的な意義を説いている。つまり「学問」の名の下におけるウソは、「学問」から必然的に生まれるものではなく、むしろ本来的な「学の営み」からの逸脱であるという主張になっている。
ここが凡百のポストモダニストとの決定的な違いだ。
実はこのような考察は、フッサール現象学に先例がある(『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』中公文庫)。私が一昨年の5月に筑波大に招かれ、「神名龍子」として学部生・院生の皆さんの前でお話させていただく機会をいただいたのも、これが理由であり、本書の著者によって実現したものだ。
ただし、「学の基礎付け」という点では本書の説明は必ずしも充分とはいえず、この点は前著、あるいは『哲学的思考』(西研・ちくま学芸文庫)などを参照するとよいだろう。
ウソの具体例として、特に文系分野においてはフェミニズム(女性学)のウソが数多く挙げられていることも、前著と共通する特徴だ。けっしてフェミニズム批判それ自体をテーマとした本ではないが、その方面でも有用であることを指摘しておく。
「学問」のみならず、「マスコミのウソ」にも大きくページが割かれていることも、本書の特徴だ。
学会に所属するわけでもなく、学術論文を目にする機会もない市井(もちろん私もその一人だ)に対しては、「学者のウソ」はマスコミを通じて流布されることが多い。その意味で「学者のウソ」と「マスコミのウソ」は共犯関係といってもよく、この点はフッサールが扱わなかった、著者独自のテーマだ。
著者は学者とマスコミとを「学歴エリート」という形で括り、そこに産業エリートをも含めて考察の対象とする。それによって、この社会におけるウソの発生と流布の構造を明らかにしようと試みる。
この考察で特に注目すべきは、単に倫理の衰退を指摘するのではなく、むしろ「倫理」(という概念)が「マスコミのウソ」に積極的に利用されているという指摘である。
残念ながら、本書では「倫理」について充分に語られているとはいえないが、このテーマについては著者の今後に期待したい。
とりあえずこの3冊で打ち止めです(^^;)。
『「本当の自分」の現象学』の山竹さんは同じ竹田門下で、読書会や研究会も一緒にやってました。朝日カルチャーの竹田さんの講座では合宿があって、その時あらかじめ指定されたテーマで本質直観をするのですが、「無意識」の本質直観を担当したのが、この山竹さんと私だったのです。
『学者のウソ』の掛谷さんは本文でも書いたように、高卒の私を筑波大の教壇に立たせてくださいました(笑)。緊張しました(^^;)。
鸞は今も一人で廳です情け愛
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